身を切る改革 寄附金を被災地、福島県富岡町へ
昨日は東京維新の会の役員・有志メンバーにて福島県の富岡町へ。
富岡町は東日本大震災にて津波の甚大な被害を受けたとともに
福島原発事故により避難指示が発令され、今でも帰還困難地域が残る町です。
今回は東京維新の会が行っている「身を切る改革」として
議員が報酬を自らカットした分のお金を富岡町の復興に活用いただきたいということで
東京維新の役員・有志メンバーで訪問して寄附金300万円のお渡しと
町内の視察、そして福島第二原発の視察をさせていただきました。
身を切る改革について
東京維新の会の議員は、議員報酬(歳費)の一部を自主的にカット。
その分を積み立てて、被災地等の必要としているところに寄付を実行しています。
今まで寄付を行ってきた実績は下記から。
https://o-ishin.jp/miwokiru/
富岡町の町長さんはじめ職員の皆さまから東日本大震災からの復興の状況
そして除染作業や避難指示解除の状況についても詳細に教えていただきました。
その後、バスに乗って、実際に津波がどのあたりまで来たのか
そして現在避難指示が解除されて復興が進んでいる地域のまちづくりはどのようになっているのか
いまだに住民が帰ってこれない帰還困難区域の中もご案内いただきました。
現在帰還困難地域4.6㎢、町全体の約7%(229世帯)ということで
今年11月から集会所・墓地・アクセス道路については立ち入りが可能になったとのことでした。
実際に入ってみると、もちろん作業中の人しかいない閑散としていて
12年の時が止まったまま、ボロボロの民家が点在している状況でした。
2011年3月11日から時が経ち、当時ほどの世間からの注目もなくなった今でも
現地の状況を見ると、復興というのは大変なことなのだと実感させられました。
一刻も早い除染完了、避難指示解除を求める町の声。
高齢の避難者からの「生きているうちに戻りたい」の声。
避難指示が解除された地域では既存の施設を生かしつつの新たなまちづくりが。
・産業団地整備と企業誘致施策(初期投資を安く、補助率も高い)
・新規就農者の育成施策
・移住支援、福祉・介護の拠点整備
・教育費の無償化や先進的な教育施策 などなど
駅前には新築のアパート・戸建ても多く新規住民も増えているとのこと。
震災の教訓から海抜が低い場所は農業を行う用地にして
食物への風評被害を鑑みて、観賞用のバラの栽培を新たに始めたり
放射線を吸収しにくい玉ねぎの栽培を集中的に行ったりと様々な工夫が。
一度人がいなくなった地域に人を呼び戻すのは大変な苦労がありますが
その中でも力強く前向きに取り組まれる富岡町の皆さんに学ぶところが多くありました。
そしてアーカイブミュージアムも見学。
発災直後の災害対策本部の様子を実際に使用されたホワイトボード等で再現したコーナーや
津波被害でボロボロになったパトカーの実物の展示等
(乗っていたお二人はお亡くなりになってご遺体の一部が未だ見つかっていない)
テレビで見ていた以上の壮絶な現場を感じることができる貴重なミュージアムでした。
展示されているよりも多くのものが収蔵庫にも保管されていて
展示物には住民の一言コメントも入っていて
震災前の富岡町の様子を忘れないという想いを感じました。
震災はいつ起こるかわからないからこそ、万全の備えをしなければならないのだと、
東日本大震災の歴史から私たちは学び、忘れずにいなければいけないのだと、
そして復興に向けて未だ懸命に取り組んでいる現地にできることを考えるべきだと
改めて気づかされました。
後半はいよいよ福島第二原子力発電所の視察にお伺いします。